'91年はYAMAHAの2stの当たり年でした。
オンではV型TZR250R(3XV)が、オフではDT200WR(3XP)が誕生し、2stのYAMAHAイメージが再び上昇した年です。
で、ついにYAMAHA乗りとなるべく、いつも壊れかけのKDX200SRからDT200WR(1991型)へ乗り替え。
すっきりとオフセットを控えたライトカウルとフェンダーで、「白い烏」と仲間内から呼ばれてました。
重量物がぎゅっと詰まって、びくともしないフレーム。長くよく動く足。 主要締結部位には必ずロックナットが使ってあるカワサキにはないまじめな設計。整備性もよくて本当によく走りました。
他社がフルサイズ250ccへとなる中で、しっかりと回りきる200ccで十分に勝負になりました。 こいつとは弘楽園のエンデューロから、スキー場エンデューロまでいろいろ参加して、レース中に前方宙返り1回ひねりもしましたし、1年半で結構ぼろぼろになりましたよ。
初期型はジェッティングが微妙で、エンジンかからなくなる持病があり、通勤にも使っていた関係で、会社の駐輪場で毎日プラグとキャブいじってたなあ。
一方で、身の回りで限定解除を取る人が増えてきてました。 400でも不満はなかったのですが、ちょうど職場の人がバイク乗りで、「限定解除は業務命令ゃ!」のノリで試験場へ行くのを後押ししてくれました。そこで、一気に限定解除しちゃったのです。このとき28歳。 ZX-4もきれいに乗っていたので下取りを結構出してくれるとのこと。 ここで長年の夢である5バルブGENESISに手を出すことに。試乗はおろか、現車も色も全く見ることなく、FZR1000(1993型)を購入しました。
この頃は1$=300円くらいで、逆車も今ほど一般的ではなくメーカー保証も無かった頃。下取り込み追銭で130万払ったと思います。
この写真では角ミラーがついていますが、純正は丸ミラーです。この角ミラーはOW01の部品に変えたのだったと思います。
あこがれの5バルブGENESIS、しかも1リッター!でも非常に扱いやすく癖のないバイクで、北海道から、九州の端っこまで走りました。山陽自動車道も全線開通し高速道路を使った高速長距離移動というのが楽になった頃ですね。
一方で職場の人から考えて乗ることを教えてもらい、ライダーとしても成長させてくれたバイクとなりました。ミシュランラジアルのファンになったのもこのFZRのおかげかな。
FZR1000とDT200WRの完全YAMAHA路線ができあがって、2台ともとにかく走り回ってたのがこの時期です。
この頃もう一つおまけの事件が起きて、ヘルニアでバイクに乗れなくなった連れが通勤で使っていたDAX50をもらい受けました。クラッチ付きのマニュアル4速のST50Mです。
私自身、原付時代がなかったので結構新鮮でした。
ですが、元々古かったこともありフレームやホイルが錆で折れるところまでいってしまい、結局廃車に。意外に短いお付き合いでした。 こんな感じでH社とはあまり縁がないんですよ。 このあと、DTを後期型に買い換えようとしているときに、何の因果か黄色いバイクに乗ることになります。
遍歴編4 - SUZUKIもいいじゃん! に続く。